【日記】なりたい自分になる vol.7

なりたい自分になる

今日は10時半と少し遅めの起床。

それでも隣では猫達がぐっすりと睡眠中だった。

猫はいい

猫

彼らには時間やお金の縛りは何一つない。

好きな時に寝て、好きな時に起きる。

お腹が空いたらご飯を食べて、満腹になったら日向ぼっこをしながら過ごす。

唯一申し訳ないことがあるとすれば、彼らは窓の外以外の世界を知らないということ。

猫 窓の外

いつも外を眺めている彼らの心はきっと好奇心に満ち溢れているはず。

そしてふと思う。

彼らにとっての幸せとは何なのか??

何不自由なく今の生活を全うすることなのか、窓を開けて外の世界を自由に歩かせてあげることなのか。

こればかりは猫だろうと人であろうと、それぞれの世界で見つけていくしかない。

自由という不自由

コーヒー

人は『何をしてもいい』と言われると何も出来なくなったりする。

オープンワールドというゲームが流行り始めた頃、似たような経験が自分にもあった。

限りなく広大なマップで自分が操作するキャラクターは、攻略手順に縛られることなくその世界を自由に探索できるというもの。

メインストーリーを忠実にクリアしてもいいし、すべてを無視してただ広大なマップを冒険してもいい。

全てはプレイヤーの楽しみ方次第というわけです。

それにも関わらず、当時は攻略サイトというものを見ながら、自ら自由を手放し、他人によって描かれたルートをなぞるような遊び方をしていたことを覚えている。

人は自ら新しい世界を見つけて歩むことより、他人によって与えられた道を歩く方が楽だったりする。

言い訳ばかりの不自由な生き方

そのくせこんなことを口走ったりする。

「環境が悪いからうまくいかない」

「誰々に従ったら失敗した」

じゃあそんな環境は変えてしまえばいいのに。

自分が正しいと思ったことを選択すればいいのに。

  • 生活のためには仕方がないことなのでしょうか??
  • 他人に従うしか道がなかったんでしょうか??

何をしてもいいという選択肢は、人によっては不自由でしかなかったりもする。

選んでいるのは常に自分自身という現実

青空

身近な誰かに愚痴をこぼすこと自体は全く問題ないし、溜め込むよりはストレス発散にもなる。

でも論点を自分は間違っていない、自分は悪くないという主張にするのはあまり好ましくない。

あくまで選んだのは自分自身、そして環境や出会った人そのものに問題があるのではなく、ただ合わなかっただけ。

人は無意識に合わせなきゃいけないという勘違いをしている。

合わない世界の絶望感

例えば、小学校のクラスに所属したらあたなの世界はそのクラスが全て。

そのクラスで仲間外れにされたらそれは絶望的でしょう。

世界に見放されたと思っても過言ではない。

でも世界は本当は広くて、30人前後の人間には見放されても、必ず自分を必要としてくれる居場所はある。

だから本来は必要とされない環境からは全力で逃げなきゃいけない。

それを理解できない学校の教育方針、親の言い分というのはあまりにも残酷すぎる。

居場所を見つける重要さ

自分はものすごく運が良かった。

小中高と友達はほとんど出来ず、軽いイジメくらいは経験しているし、高校時代はほとんど学校へ行かなかった。

しかし、自分を必要としてくれる居場所があった。

それがバンドだった。

ギターが弾けるだけで一緒に居られる仲間がいたから、学校なんて行かなくても心の居場所が確保できていた。

30代半ばとなる今でも音楽で繋がった縁には心から感謝してるし、ずっと大事にしてる。

世間的には絵に描いたようなダメ人間だと思う。

高卒、コミュ障、口が悪い、生意気、スキル0…誇れるもんなんて、一緒にいてくれる仲間や家族、繋がり続けてくれている人達くらいなもの。

そのおかげで自分を好きでいられるし、そのままでいいんだって思えている。

だからちっぽけな世界で一人だと思い込んでる人には全力で逃げてほしい。

他人や環境が悪いんじゃなくて、そこは自分の居場所じゃないんだって気付いてほしい。

正解不正解は分からない。

居場所を見つけられずに生涯を終える人だって決して少なくはない。

むしろそういう人達の方が多いかもしれない。

より自分らしく生きるためにも、自分にとっての自分だけの自由を探してみるのもいいかもしれない。

自分もまだそんな冒険の途中にいます。

いつだってここは仮住まい。

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