ニワっちです。
約2週間ぶりの日記です。
最近はアホみたいに「検索されるような記事を書かなきゃ」とか「有益な記事を提供できるようにならなきゃ」とか、読まれるための記事を意識して記事を書きまくっていましたが…
やはりたまには心の声をそのまま届けたくなります。
今回もガチ日記を書いていきます。
昔の記事を読み返して感じたこと
最近ふと妻に言われたんです。
「昔のブログが好きだった」と。
なぜ過去形なのか?は聞くまでもなくすぐ理解できました。
そして「過去の自分のブログを知る方々にとっては大半の人が同じことを思っているんだろうな…」ということも安易に想像できます。
そもそも本来ブログは自己表現だった
個人ブログをWordPressで立ち上げ運営するまでは、純粋に自分を表現する手段としてブログを書いてきました。
深い意味はない意味不明なタイトルや、「オレはこう思う!」という明確な意思表示、抽象的な表現から感じ取れる人柄…
過去のブログを読んで素直に「あっ、自分という人間は確かにこういうヤツだったな」ってハッキリ人間性が見えたんです。
それが今では当たり障りの無い表現、SEOを意識したありきたりなタイトル、構成を意識したまとまりのある文章…
書いているのは確かに自分ではあるものの、そこに求められているのは人間性ではなく、簡潔で分かりやすい文章と情報の信憑性なんです。
ブログ運営は他人の悩みを解決させなきゃ成立しない
これはどうしても越えなきゃいけない壁だったんです。
自分が好きなことを延々と語るブログだってもちろん悪くはない。
でも仕事として成立させたいなら、好きなだけじゃ続けられない現実に必ずぶち当たるんです。
過去の失敗を振り返る…
バンドマンとしてプロを目指していたときにも、似たような壁にぶつかったことがありました。
しかしその時は努力や柔軟さが全く足りず、結局は目の前の結果だけに満足してしまったんです。
「自分の音楽が好きだと言ってくれる人達のためだけに演奏を続けられればそれでいい」と。
ただ好きなだけじゃ結果を変えることは絶対に出来ない。
期待に応え続けることも大事ですが、結果に繋げたいなら変化を恐れない柔軟さも必要なんです。
成長は期待への裏切り
どんなに個性的でも、結果が伴わなければ意味がない。
仮に「続けていれば必ず結果はついてくる」と、結果を出している人が言えば1000人が「いいね!」と反応する。
しかし、結果を出していない人が「続けていれば必ず結果はついてくる」と言っても2、3人しか「いいね!」と反応しない。
自分自身、本当に馬鹿だったと思ったのは、むやみに数字だけを稼ぎたくてSNSを頑張ってしまったこと。
自分に心から興味のある人間なんて実際には数えられるくらいしかいないのに、フォロワーが1000人いてもゴミ同然です。
そして当の本人は元々他人に振り回されやすく、フォロワーさんが「〇〇って正直ダサい」みたいな発信をしたとして、それが自分に当てはまってしまうと丸一日凹んでしまうほどの豆腐メンタル…。
だからSNSの閲覧はやめたという話はこれまでも散々してきました。
同時に「他人の期待に応えるために現状維持するのはやめよう」とも思いました。
成長するには失敗や実験を繰り返す必要がある
人は歳とともに、挑戦を恐れてしまうようになります。
20代の頃は怖いものなしでがむしゃらに生きて来れたけど、30代後半にもなれば徐々にリスクを避けて安定を求めるのも無理はない。
でも、挑戦をやめたら先に進むことはまず出来ない。
たとえ10年前の自分がどんなに輝かしい結果を残していたとしても、過去の栄光なんて未来には何一つ役に立たないですから。
成長したり、今の自分を変えたいと思うなら、常に自分自身をニューリリースし続けるしかないんです。
たとえ今まで自分を支えてくれていた期待を裏切る結果になったとしても、後ろは振り返らずに挑戦し続けるべきなんですよね。
他人には感謝しつつ、信じるべきは己のみ
最後に…どんな状況であれ、心から信じるべきは常に己のみであると思っています。
ただ、自分と関わってくれた他人への感謝は決して忘れちゃいけない。
オレは今でも、繋がってきた人達には心から感謝し続けています。
本当に何度も助けられたし、支えられたし、おかげで今の自分がこうして存在しているのは間違いありません。
でも、自分を変えられたのは自分の力でしかないとも思っています。
他人には己を変えることは絶対に出来ません。
他人ができるのはキッカケを与えることまで。
その先自分がどう行動してどんな道を歩むのか?
最終決断は自分にしか出来ないんです。
失敗を恐れず、これからも時代の変化と共に挑戦し続けたいと思います。