先日、友人と食事に行った際にこんなことを言われました。
「ミニマリストだから外食誘うのも悪いかなぁと思って遠慮してたんだよね…」
今回は勘違いされがちなミニマリスト・飲み会の誘いについて少し話していきます。
無駄の定義は人それぞれ
実は何が無駄かという定義はミニマリストどうこうではなく『人それぞれ』なんですよね。
実際にミニマリストの方々に『行く・行かない』を聞いたとしても、おそらく賛否両論だと思います。
傾向としてミニマリストが最小限主義者ということに間違いはないんですが、それぞれの定義でもって必要性を考えているわけです。
ミニマリストは飲み会に行く?行かない?
ミニマリストが飲み会に行かないわけではないんです。
行きたくない飲み会には行かないと言うのが正しいかもしれません。
あえて言うなら、ミニマリストにとって行きたくない飲み会の線引きは一般の方よりハッキリしている傾向があるように思えます。
シンプルな二択でしかない
例えば忘年会と新年会。
これも『行く・行かない論議』が毎年恒例に起きていますが、筆者的には命名が悪いと考えています。
ただの飲み納め、飲み初めですからね。
仮に会社の忘年会・新年会が毎年の恒例行事だったとする。
社内の雰囲気は行くのが当然という流れ。
一般的には人付き合いの礼儀と捉えるんですよ。
この『付き合うのが当然』という根拠のない一般常識が問題なんです。
実際には至ってシンプルな選択です。
行きたいか?行きたくないか?
ミニマリストは自分にとっての必要性をしっかり考えている方が多いため、おそらくこの二択で考えるはずなんです。
自分にとっての選択肢でしかない
少し難しい話になりますが、筆者の場合は付き合う人間と自分自身の立場関係によって、こういった誘いに行くか?行かないか?は大きく左右されます。
さらに、その日の気分次第ではどんなに親しい人間からの誘いであっても断ります。
昔なら「都合が悪くて行けません」と断るところですが、最近では「気分が乗らないので行きません」と言い切るようにもなりました。
この『行けないのか?行かないのか?』という意思の違いは相手にちゃんと伝えるべきだと思うようになったからです。
環境によって自分は行けなくなってしまったのか?
そうではないですよね?
自分が行かないと決めた選択じゃないでしょうか?
付き合いが悪いどうのじゃないんです。
決めたのは自分自身。
話は逸れましたが、ミニマリストを飲み会や食事に誘うことは至って問題ありません。
むしろ『ミニマリストだから』という固定観念こそ必要ないんです。
そこは素直に『一人の人間として』接するのが、筆者にとっては正しさだと思っています。