あまり気にして生きてこなかったため、誰かにこんな事を言う機会すらありませんでしたが、僕は正視恐怖症です。
基本的に人の目を見て話せない。
全く見れないというわけではありませんが、視線を合わせるというのが困難なため、視線はほとんど横や下目線です。
話を聞く際も目を見るよりは他所を見ていた方が落ち着いて話を聞けます。
友人であれば数秒目を合わせる程度は可能です。
アイコンタクトを必要とする現場ではやや不便する場合があります。
ただ、タイトル通りですが全く気にして生きてこなかったので『正視恐怖症なんです』と公言した事は一度もありません。
勘違いはされやすい
昔からとにかく言われ続けていたのが
「人の目を見て話しなさい」
「人が話してる時は相手の顔を見なさい」
理由は分かりませんが、昔から人の顔を見るのが苦手でした。
必然的に学生時代は相手にされない部類の人間でしたね。
また、何を考えているか分からないと思われる事もかなり多く、目を見て話ができないということで相手を不快にさせてしまうケースも多かったです。
言葉のいらないコミュニケーション
高校時代からギターを弾くようになり、音楽仲間が出来ました。
ギターが弾ければ一緒に音を出す仲間と一緒にいれる。
当時はそれだけが唯一、人間関係を繋いでくれました。
音楽が好きと言うより、音楽で繋がれる空間が好きでした。
学校は苦手でほとんど行かなかったです。
音楽の世界でもアイコンタクトは苦手だった
そのまま20代でも音楽を続けていて、困った点はやはりアイコンタクトでした。
どうしてもメンバーと目を合わせて演奏が出来ない。
そのため、空気感、雰囲気だけを頼りに演奏するのが自分のスタンスとなりました。
見られること自体は全く問題ない。
正視恐怖症の場合、ただ相手の目を直視するのが困難なだけなので、大勢の人前で話をするのは全く問題ないです。
何度かそういう機会もありましたが、視線は壁に向けていれば全く問題なく話せます。
考えてみればあがり症の人が人前でしゃべるときのコツと全く一緒ですね。
大勢の人に向けて話す場合には、気持ちと言葉だけを対象者に伝え、視界に映すのは物質の1ヶ所にする。
聞き手はその人の人間性、しぐさ、態度、声色、内容に集中しています。
そのため、目線はさほど気にする必要がないのでより自分らしく発信できるという意味では目を見れないというのも便利です。
よく、肝っ玉が据わっているとか、メンタルが強いって言われましたが、蓋を開けてみればただ視線が怖いの裏返しだったということになるわけてす。
人見知りで人混みが苦手
視線を合わせるのが苦手なだけでなく、人見知りでもあり人混みはとくに苦手です。
生活に支障をきたすほどではないですが、混雑した環境よりは静かな場所を好みます。
学生時代も学校がとにかく嫌いだったので、毎朝登校しないで海に行ってたのをよく覚えています。
欠点のない人間はいない
自分の事を『正視恐怖症なんです』と言わない理由は、完璧な人間なんて存在しないと割り切っている一面にもあります。
誰だって自分の嫌な部分を抱えてこの世界を生きています。
中には人の手助けがないと日常生活を送れない方もいます。
心のどこかで『みんなそれぞれの悩みを持って生きているんだよな』とずっと感じて生きてきたので、全く大した問題ではなかったです。
同じ悩みを持つ方にも伝えたい
おそらく僕以外にも正視恐怖症で悩んでる方はたくさんいるでしょう。
コミュニケーションが取りづらく、相手からも理解されづらい。
そのくせ空気感には敏感だから気を揉みやすい。
結果、人付き合いが苦手だったり、自分は必要とされていない存在なんだと、思い込んでしまうケースも多いかと思います。
でも、そんな自分を受け入れてくれる環境は必ずあります。
自分にとって生きやすい環境を自分自身で作る事が、何より先決です。
大なり小なり、生きづらさを感じているのは誰でも一緒。
今までの常識に左右されず、自分が一番呼吸のしやすい居場所と生き方を自分で選んでいきましょう。