【日記】なりたい自分になる vol.11(身軽な生き方編)

【日記】なりたい自分になる vol.11(身軽な生き方編)

ニワっちです。

久しぶりの日記更新となります。

仕事を辞めてから驚くほど思考がクリアになり、まさに今slow lifestyleを送れているという実感が少しだけ湧いています。

久しぶりに、思考のアウトプットにお付き合いください。

数字を稼ぐことを手放した

数字を稼ぐことを手放した

この際正直に言ってしまうと、ここ半年ほどはありとあらゆる数字稼ぎに必死になっていました。

お金、ブログのPV数、SNSのフォロワー数、承認欲求。

とにかくたくさんの人に自分を知ってもらわなきゃいけない。

知ってもらえない限りは数字も稼げず結果も得られない。

そのためには行動するしかないと。

はっきり言って動かなきゃ何も始まらないので。

何かをやりたいなら自らが行動し続けるしかない。

これは本当に大事なことだと思うんです。

でも、今回気付いてしまったのは『本当の自分を犠牲にする必要はない』ということ。

仕事を辞めて、白紙となったカレンダーをただなぞる日々から得たもの。

それは素朴で穏やかな日常への感謝の日々。

もしかしたら、自分はこれさえあれば十分幸せなのかもしれないと。

自分を押し殺してまで、数字を稼ぐ必要性はないんだと気付きました。

数字は稼ぐのではなく、必要に応じて集める生き方にしようと。

そもそも人に興味がない

そもそも人に興味がない

『人に興味がない』なんてストレートに言うような言葉ではないけど、自分自身の最も心の奥深くに確かに存在する本当の自分。

彼は一人の時間が大好きで、誰にも邪魔されず、好きなように生きることが何よりの活力。

昔から友達も少なく、一人で遊ぶことが当たり前で、でもそんな自分が嫌いじゃなかった。

そんな中、他人の価値観に触れすぎると自分の深層真意がどんどん薄れてしまい、適応してしまう。

もっと協調してみんなに共感してもらえる自分を演じなきゃいけないと。

器用に立ち回らないと結果も数字も稼げず、賢い大人の養分となるだけ。

馬鹿正直に「オレは一人が好きだしそもそも他人に興味がないから…」なんて言ってたら誰も近寄らない。

近寄ってくるとしたら自分と似たような少数派の社会適合者くらいなもんだ。

だから必死に『変わらなきゃといけない』と思い続けてました。

でもこれって大抵の大人は経験してることのはず。

社会に適応するって『我慢して人に合わせる』ってことじゃないかって。

日本ではこれを『大人として生きる術』と教育してきたんだと思うんです。

正直疲れました。

数字とか競争とか、優劣だらけの世界観に生きるのは性に合わないんだと。

相手の顔色や思考を伺って、それに合わせるような付き合い方はもうやめなきゃいけない。

Twitterでいうなら、フォローしてもらってるから「いいね」や「リプ」は礼儀みたいなことです。

そうやって社会の仕組み同様、自分を売り込む生き方はやめます。

好きなことだけに正直に生きる。

これが自分にとっては最も身軽な生き方だと気付けたので。

新たな生き方に向けて

伝えることは続けていきたい

相変わらずブログは今後も続けます。

現状最もやりがいのあることが『ブログの毎日更新』だから。

そして綺麗事だけでは生きていけないという壁もあるのが現実。

最も身軽な思考をみつけることは出来たので、あとはこれを形にするだけ。

主夫という生き方を検討中

今回『ニート夫婦』という夫婦揃って白紙の時間を過ごすことで気付けたことが2つあります。

  • 自分は仕事がないことで家事やブログ、運動や読書に全面集中できる最高に充実した時間を手に入れられた。
  • 妻は何もすることがないという退屈な日々にどんどん憂鬱になっていってしまった。

息をするだけでも楽しいというミニマリストな自分の生き方とは違い、妻は仕事をしてお金を稼ぐことで自我をコントロールしているようです。

こればかしは無理に共用することではない。

それならいっそ、稼ぎ頭は妻が担当、家事全般+小遣い稼ぎは自分が担当した方が互いに充実するのでは?

という案が浮上しています。

また発展があり次第、報告していきます。

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