こんなことしてなんの意味があるだろう?
自分が生きてる意味ってなんだろう?
誰でも一度は考えた事がありそうですが、意味を考え始めると何も出来なくなる可能性が高いです。
なぜなら意味なんてあるとも言えるし、ないとも言える。
そして最終的な決断は自分にしか出来ないのでは?と思います。
意味を考えるのはネガティブの始まり
意味を考え始めるときというのは『上手くいかないとき』が比較的多い気がします。
何度も挑戦しているのに一向に結果に繋がらない。
ある程度実績を積んでそれなりの結果も出してきたのに、続ければ続けるほど結果は右肩下がり…
なんてことも『これ以上は意味がないかもしれない』と感じる原因だったりします。
そしてその意味を追求し続けてしまったがために無意味だったと結論を出してしまう。
そういったネガティブ思考は人の行動力を簡単に鈍らせてしまうんです。
あえて結果を求めない
『意味があるのか?』という感情には同時に『結果を期待している』という気持ちがセットになっています。
結果が伴えば意味があったと実感できる。
逆に結果がついてこないと意味はあるのか?と思い知らされる。
はたして結果がこのまま出なかったとしたら、それは本当に無意味だったと言えるのか?
自分は少し違うのでは?と考えています。
たとえば何かの試合に挑戦し続けても一度も勝てない選手がいたとする。
そして結局1勝もあげることなく他界してしまった場合、その人の挑戦は本当に無意味でしかなかったのか?
きっと本人は心底悔しいはず。
結局自分の人生は敗北でしかなかったと。
でも自分ならこう思いたい。
『結局結果は出せなかったけど、続けて良かった』と。
・本当の意味は生涯を通して、自分自身によって決められる。
意味より価値を考える
自分にしか判断が出来ないのならば、考えなきゃいけないのは意味の有無ではなく、価値を見出す事なんだと思います。
とはいえ、人生に価値はあるのか?と考えてしまうとスケールが大きすぎます。
考えるのはもっと目先の事だけで十分。
対象は自分自身ではなく、自分が興味を示すもの。
自分自身に価値や意味を求める必要はありません。
自分が興味を持ったものとどう付き合っていくか?
そしてそれは自分にとってどれだけ価値あるものにしていくのか?
生涯を全うしたとき、その答え合わせをするのは自分自身でしかない。
人生に意味を求めるのはやめて、興味のある物事に価値を与えてあげるという生き方の方がより充実した日々を送れるような気がします。