2019年を改めて振り返ったとき、素直にこう思いました。
『結局自分は何がしたかったんだろ?』
先日このようなツイートをしました。
「結局何がしたいの?」
って言われると、正直答えられない。
急にミニマルになって、コーヒー淹れはじめて、運動も始めたわけ。
今度はWordPressをはじめて、毎日ブログ書いて、写真や動画を撮りはじめたわけ。
そんで明後日にはライブハウスに出張バリスタを呼ぶっていう企画を実現させる。
続
— ニワっち@slow lifestyle (@niwatch_guitar) December 17, 2019
来年は自分自身も音楽活動を再スタートさせる。
まだ告知出来ないけど、ライブも決まってる。
でも今までとは全く違う形で伝えていきたくて。
slow lifestyleっていう生き方に音楽、コーヒー、繋がり、全てを巻き込んで発信したい。
自分の『好き勝手』で人を繋げられたら、きっと楽しいかなって。
— ニワっち@slow lifestyle (@niwatch_guitar) December 17, 2019
結局何がしたいかって自分で決めるような事じゃなくて、好き勝手に生きた先で出会うものなんじゃないかなって思えてきました。
少し掘り下げて話していきます。
足枷が外れたことによる反動
ここ数年間、誰の基準で定めたのかすら分からない常識という足枷によって行動を抑制されていました。
もちろん原因は自分自身です。
ちゃんと働かなきゃいけない、もっと稼がなきゃいけない。
この〇〇でなきゃいけないに縛られていました。
自分には家族がいるから、家族のために全てを犠牲にして働くのは当たり前。
いったい誰にそんなことを義務化されたんでしょうか??
要領が悪いから何をやってもうまくいかない。
周りからもそう言われ続けてきたから間違いない。
そんなのは地球上に存在する人間のごくごく一部の全く確証のない常識。
そのことに気付けた瞬間、やりたいことが溢れてきました。
何がしたいか分からなかった。
上記添付ツイートにも書いてるように、
とにかくやりたいこと全てに手を出してきました。
その全てに共通点はほとんどなく、次第にこう思ってきたんです。
『結局何がやりたいんだろ??』
これが分からないままだった。
聞かれても答えられない。
強いて言うなら
『好きなようにやってみただけ』
一番悩まされたのは数字的結果。
フォロワーを増やしたい、有益な情報を提供するべき。
じゃあ自分は何を発信したいのか??
分からない。
こんなんでどう自分を売り出したらいいんだろ??
そう思っていた頃、あることに気付いたんです。
好き勝手を評価してくれる人がいる。
同じミニマリストさんだったとしても自分に興味のない人はいる。
同じコーヒー好きな人でも、自分に興味のない方だっている。
共通の繋がりがあったとしても、人として興味を持たれていないわけです。
逆に共通の繋がりがないようなフォロワーさんが自分の発信に興味を示してくれていたりもする。
この時確信しました。
好き勝手にやりたいことをやるだけで、それを評価してくれる人だっている。
無理に合わせてやりたいことを掘り出すんじゃなく、
好き勝手な生き方の発信の中で見つけていけばいいだけなんだと。
そう思えた瞬間、本当に肩の力が抜けたんです。
好きなことを好きなように繋げていけばいいだけ。
そうすることで人生は格段に明るく楽しいものに変えられます。
繋がった先に見える景色を求めて
そうやって好きなこと、好きな人を繋げていった先には、
必ず自分が見たかった景色があるはず。
間違っても他人の常識に縛られ、足枷をしていた頃には出会えない。
そんな人生は牢獄から同じ景色ばかり見て、
外に憧れを抱き続けるようなもの。
何がしたいか分からないなんてむしろ贅沢な悩み、
なんでも続けたらいい。
その好き勝手を評価して貰えばいい。
そしてその先に繋がる人たちと新しい景色を作っていけばいいだけなんです。
この記事を読んでくれている方々もそうです。
興味を持ってくれたなら繋がって欲しい。
好きな繋がりの中で出会えることを楽しみにしています。